《依存か甘えか》 ![]()
「依存」か「甘え」かの見極めが難しいと言われます。
そこで、今日は、《依存と甘えの違い》について考えます。
熱烈な恋愛をして
「もう、この人が居ないと生きていけない」
と、思ったとしたら、
ひょっとしたら、お互いに依存しているかもしれません。
お互いに依存し合う関係は、男女・親子関係で、良く見られます。
お互いに依存し合う関係のことを《共依存》と、言います。
共依存している時の行動は、一見「相手のため」に見えますが、
実は「自分の満足のため」であり、
その過剰な支配・コントロールは様々な歪みを作り出します。
人から何かをしてもらい、受け取るばかりの人が「依存」していることは、分かりやすいです。
ところが、与えるばかりで受け取れない人も、「依存」しているのです。
これは、本人にも自覚しにくいです。
共依存の典型的な事例は、
アルコール依存症の夫を妻が
「この人は、私がいないとだめだから」
と言って、甲斐甲斐しく夫の面倒を看るケースです。
世話をする側は、相手を依存させ、
生活力を奪って、自立を妨げ、支配しているのです。
与えるばかりで、心が疲れ果てぼろぼろになりながらも、
相手を支配する現在の状態を捨てられないのです。
本人は、無自覚かもしれませんが、これもひとつの依存です。
与えてくれる相手に依存し、
受け取ってくれる相手に依存する
いう形で
お互いに依存し合っているので、
《共依存》と言うのです。
与える側は、
・支配したい
・自分に対して、愛情を受け取ることを禁止している
・愛情を受け取れないので満たされない
・次第に心が疲弊してしまい、絶望的になる
逆に、受け取る側は
・甘えたい
・自分は楽したい
・与えると、損した気分、恩着せがましくなる
・問題解決を自分の力でする自信がない
・次第に自由がなくなり、不安が大きくなる
という心理があると思います。
一方、《甘え》とは、
自立した上で
困った時には甘えられる。頼ることができる。受け取れる。
相手が困った時には、甘えさせてあげる。頼られる。与えられる。
健全な関係で、お互いが配慮し、甘えられる関係でいるためには、
二人が共に心身のバランスがよく自立できていることが前提となります。
土居健郎先生は、1950年代の米国留学時に受けたカルチャーショックをもとに日本を把握しようと試みた本「甘えと構造」の中で、
日本語の「甘え」に該当する言葉が他言語に見つからないことに着目しました。
この日本にしかない言葉《甘え》は、
欧米で表現すると《愛》という言葉に相当するという方もいらっしゃるそうです。
確かに、いくつになっても、《愛》は、欲しいものですよね。

「依存」か「甘え」かの見極めが難しいと言われます。
そこで、今日は、《依存と甘えの違い》について考えます。
熱烈な恋愛をして
「もう、この人が居ないと生きていけない」
と、思ったとしたら、
ひょっとしたら、お互いに依存しているかもしれません。
お互いに依存し合う関係は、男女・親子関係で、良く見られます。
お互いに依存し合う関係のことを《共依存》と、言います。
共依存している時の行動は、一見「相手のため」に見えますが、
実は「自分の満足のため」であり、
その過剰な支配・コントロールは様々な歪みを作り出します。
人から何かをしてもらい、受け取るばかりの人が「依存」していることは、分かりやすいです。
ところが、与えるばかりで受け取れない人も、「依存」しているのです。
これは、本人にも自覚しにくいです。
共依存の典型的な事例は、
アルコール依存症の夫を妻が
「この人は、私がいないとだめだから」
と言って、甲斐甲斐しく夫の面倒を看るケースです。
世話をする側は、相手を依存させ、
生活力を奪って、自立を妨げ、支配しているのです。
与えるばかりで、心が疲れ果てぼろぼろになりながらも、
相手を支配する現在の状態を捨てられないのです。
本人は、無自覚かもしれませんが、これもひとつの依存です。
与えてくれる相手に依存し、
受け取ってくれる相手に依存する
いう形で
お互いに依存し合っているので、
《共依存》と言うのです。
与える側は、
・支配したい
・自分に対して、愛情を受け取ることを禁止している
・愛情を受け取れないので満たされない
・次第に心が疲弊してしまい、絶望的になる
逆に、受け取る側は
・甘えたい
・自分は楽したい
・与えると、損した気分、恩着せがましくなる
・問題解決を自分の力でする自信がない
・次第に自由がなくなり、不安が大きくなる
という心理があると思います。
一方、《甘え》とは、
自立した上で
困った時には甘えられる。頼ることができる。受け取れる。
相手が困った時には、甘えさせてあげる。頼られる。与えられる。
健全な関係で、お互いが配慮し、甘えられる関係でいるためには、
二人が共に心身のバランスがよく自立できていることが前提となります。
土居健郎先生は、1950年代の米国留学時に受けたカルチャーショックをもとに日本を把握しようと試みた本「甘えと構造」の中で、
日本語の「甘え」に該当する言葉が他言語に見つからないことに着目しました。
この日本にしかない言葉《甘え》は、
欧米で表現すると《愛》という言葉に相当するという方もいらっしゃるそうです。
確かに、いくつになっても、《愛》は、欲しいものですよね。